Profile
大友義雄【プロフィール紹介】
1947年東京、3人兄弟の末っ子として生まれる。母親が小唄の師匠、兄弟がフルート、クラリネットを嗜むという音楽に恵まれた家庭に育つ。5歳頃ピアノを習い、中学校の頃からクラリネットを独学で習得、ブラスバンドで演奏をする傍ら、曉星高校に進学と同時にサックスに転向、学園祭などでジャズの演奏を始める。日大芸術学部音楽科入学と同時に当時先輩だったクラリネットの花岡英二氏と知り合い、ジャズの演奏を本格的に開始する。後にピアノの板橋文夫の目にとまり彼のクインテットに参加、ジャズ界にデビュー。当時、板橋バンドには向井滋春、古野光昭、タイガー大越など蒼々たるメンバーが在籍、板橋と共に大きな影響を受ける。また、渡辺貞夫がバークレー音楽院の留学を終え帰国した際のライブを聞いて感動しプロとしての活動を決意、後に渡辺貞夫が開いた理論講座に参加、多くの事を学ぶ。
60年代半ばに自己のグループを結成。サイドメンには常に時代の最先端のミュージシャンを選択、才能有る若手ミュージシャンを見極める大友の目は業界でも有名で、彼のグループから育って現在活躍しているミュージシャンは実に多い。
自己のバンドでの活動と同時に渡辺文男グループ、古沢良治郎等のバンドにも参加、活躍する。74年には良きライバルであった土岐英史と共演した「ラバー・マン」でレコードデビュー、1年後初リーダー作「オー・フレンズ」を発表。75年に「アズ・ア・チャイルド」、76年には「ムーン・レイ」をリリース、アルト奏者として着々とその地位を築いていった。しかし、何といっても大友の地位を決定づけたのは水橋孝グループでフューチャリングされたスリーブラインドマイスのライブ盤「男が女を愛する時」だ。これぞ大友の歴史的名演奏との誉れ高い名盤だ。2001年にもリニューアルされて再発売されているのをみても分かるように、大友義雄節が遺憾なく発揮され正に圧巻の演奏だ。その活動が認められて71年後半には新宿ジャズ賞を受賞。サックス・プレイヤーとしての地位を不動のものとして常にスイング・ジャーナル誌の人気投票も上位を占めるようになる。
大友のプレイは自身が言うようにソウルフルで、時に熱く、時に切なく、「泣きのサックス」といわれるほどその演奏は感情的で情緒的で艶っぽい。近年、彼が音楽監督を務めた「レフト・アローン」が主題歌になった角川映画「キャバレー」は映画のヒットと共に大友のオリジナルによる音楽が話題となり大ヒットとなった。
現在も若手の最先端のプレイヤーを率いて自己のグループを中心に活躍する一方、遠藤律子FRV、ジョージ川口スーパーバンド等多方面にわたって活躍中だ。海外での演奏も多く、ニューカレドニア、中国、マレーシア、フランス、韓国、キューバ、コロンビア等で公演を行った。
また、渋谷ヤマハ他でジャズサックスのレッスンを行っており、アマチュアからプロまで後進奏者を育てている。常にクリエイティブな姿勢を崩さない大友の音楽に対する熱い情熱は特筆ものであり、今後も益々期待したいミュージシャンだ。